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2007年3月 6日 (火)

ゆれる(ネタばれ編) [映画・DVD]

ゆれる DVD ゆれる

販売元:バンダイビジュアル
発売日:2007/02/23
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昨日に引き続き「ゆれる」です。



この映画は、見た方はわかると思うんですが、

人によってシナリオの解釈の仕方がかなり異なる作品で、

昨日の記事を書いたあとにも色んなサイトで色んな意見を見て、

自分もせっかくなので自分なりの解釈を書いてみようと思いまして_(._.)_



まぁ、別に長々と説明するほどのことでもないんですけども…(笑)



というわけで、今回はネタばれ編ということなので、

当然ながらネタばれ全開ですのでご注意くださいませ_(._.)_




では、お約束の…




Netabare_3





この映画の最大の謎とも言える


”兄・稔は本当にチエコを殺したのか”


気になりますねぇ、これは。



でも、いくらここで考えたところで答え自体はないみたいですけどね(´・ω・`)




まず、サイトなどを見ていて多かった意見は、

やっぱり、猛の最後の回想の通り”本当は稔はチエコを助けようとした”でした。


まぁ、普通に見ていればその解釈に行き着くかなとは思うんですが。



で、結果から言っちゃうと自分もそれと同意見です。



結局、この事件の真相を知っているのは、

稔と猛の、この兄弟意外にはいないわけなんですが、

稔の証言はやっぱり被告側の意見なので鵜呑みにはできない。



となると、後は唯一の目撃者・猛の記憶に頼るしかない、と。



でも、その猛の記憶(回想)も私情が絡んできて物凄く曖昧。

そこで、この映画の真相も人によって”ゆれる”わけで。



まぁ、これこそまんまと監督の術中にはまってしまってるんでしょうね…(笑)




で、その肝心の猛の回想なんですが、

この映画の中で猛が事件の時の事を回想するシーンは3箇所あるそうで、



①チエコが稔に嫌悪感を示し、怒った稔の手によってつり橋の上で押し倒される。

 しかし、我に返った稔がチエコに手を差し伸べるも、

 怯えたチエコは後ずさりし、そのままつり橋の上から落ちる。



②倒れこんだチエコに稔が手を差し伸べるが、

 チエコに拒否・罵倒された事によって激昂した稔が、

 チエコをつり橋から自らの手で落とす。



③後ずさりしてつり橋の上から落ちるチエコの手を稔が掴む。

 しかし、チエコの手は稔の手から滑り落ち川に転落。

 (①の続きのような回想)




この3つ。



しかし、この3つの回想自体もですね、

一見すると①と②、②と③は矛盾している内容のように見えるんですが、

それぞれの回想をする場面での猛の心境、そして稔との関係の違いもあって、

一概にどれが真実でどれが妄想だとも言えないと思うんですね。



しかし、猛自身は②の部分までを真実(だと思い込み)として法廷でその証言をし、

稔は有罪となって服役することになる。



でも、その七年後に稔が出所する時になって、

幼い頃に家族でつり橋へ来た時の8ミリフィルムを見て、猛は③の部分を思い出す。



これによって、この映画を見てる人にとっては、

②の部分が真実なのか③の部分が真実なのかがわからなくなり混乱する。



”ゆれる”、と。(ゆれるって言いたいたけちゃうんかと)




で、ですね。


前置きが長くなっちゃいましたが、

これを踏まえた個人的な解釈としては、



”①~③全て実際に起こった出来事で、猛はその全てを”目”で見ていた”



という事なんじゃないかと。



つまり、



高所恐怖症の稔はチエコに捕まりながらつり橋を渡っている。

しかし、猛の事が好きなチエコはその行為がうとましく稔の手をなぎ払う。

チエコが猛に想いを寄せている事、

そして、この前日にも猛がチエコの部屋へ行っている事に気づいている稔は怒り、

手を差し出しながら「猛にだまされているんだ」と詰め寄る。

(この時の”手”は起きるのに手を貸すというより、

自分の元へ来い、あるいは猛の所へは行くなという意味かも?)

でも、以前から心の底では稔のような人生に対して嫌悪を抱いていたチエコは、

そこで稔のことを拒絶・罵倒する。

その言葉に激昂した稔はチエコに殺意を抱く。

しかし、そこで我に返り、今度は本当に抱き起こそうと手を差し伸べる。

恐怖に怯えるチエコは後ずさりする。

チエコはひっくり返りつり橋から落ちるが、稔がチエコの手を掴む。

しかし、耐え切れなくなったチエコの手は稔の手から滑り落ち川に転落する。




これがこの事件の真相で、この一部始終を猛は”見ていた”と。



でも、ここで問題になってくるのが↑で説明した②の部分。



実際には、

つり橋の上にいる二人の会話なんて聞こえるはずのない距離にいる猛が、

しっかりと二人の会話を記憶している。



つまりは、この部分だけが猛の”妄想”なんじゃないかと。



橋の上でチエコに詰め寄る稔の姿を見た猛は、

兄がチエコの事を好きなのを知っていながらチエコの部屋に行き、

関係をもった事への罪悪感から”バレタのか?”と困惑し会話の内容を想像した。



あるいは、あの会話の内容自体は事件後の裁判や父との会話で、

稔が”気づいていた”事がはっきりした時点での、

(あの時の会話はこうだったんじゃないか)という妄想かもしれませんね。



どちらにしろ、その会話を実際に聞いたと猛は錯覚していた、と。



そして、稔がチエコに詰め寄るその場面を見たあたりから、

記憶も曖昧になりだした。



兄がチエコをつり橋から落とそうとする場面を見たショックや、

チエコとの関係を気づかれたのではというような、いわゆる”考え事”などをしていて。



こう、よくあると思うんですが、例えば映画などを見ていても、

ふと考え事などをしてしまってストーリーが知らないうちに進んでいて、

その間、画面は見ていたはずなのに記憶には全くない、とか。



そういった感じの、もっと”強力版”と言いますか(笑)


まぁ、殺人現場みたいなもんですからね。



とにかく、兄が落とそうとしている”事実”は見ていて、

次に気がついたときにはチエコが落ちるところ、

もしくはチエコが川に落ちる音で気がついた、と。



猛にとってはその出来事が”真実”として記憶に残った。



そして、口では兄の事を無実だと言いながらも、

猛にとって稔の法廷での発言は、心の奥では始めから”嘘”だと聞こえていた。



その部分を、猛が証人台に立つ直前の稔との面会の場面で、

「結局、お前は人の事を信じられないんだよ」という言葉で見抜かれる。



その言葉を聞いた猛としては、

どうして兄はこんな卑屈な人間になってしまったんだ、という想いになり、

法廷での「僕の兄を取り戻したい」という発言に繋がるんではないか。



こう思った次第なんであります_(._.)_




そして、稔が出所する際に見た8ミリフィルムで思い出した記憶。

↑でいう③の場面ですね。



この記憶自体も、

猛にとっては、”これが真実だった”とかそんなはっきりしたものではなくて、


(そういえばこんな場面見たような…実際はこうだったんじゃ…?)


というくらいのものだったんじゃないかなと。



実際に7年も立ってますし、それこそ記憶も曖昧になるでしょうから。



でも、事実はどうであれ、

自分が証言した事によって兄が”殺人者”になってしまった事への罪悪感、

同時に”真実”は本当は違ったんじゃないかという想いがドンドン膨らんで、

いてもたってもいられなくなって稔のもとへと向った。



こんな風に自分は解釈したわけなんですが…



…って長ッ…!!Σ(゜д゜lll)



ひーん、ちょこっとだけ補足みたいな感じで書くつもりだったのに…(;´д⊂)



…まぁまぁまぁ、ええわええわ(´д`)





では、最後に。


ラストシーンでの兄・稔はバスに乗ったのか、乗らなかったのか



これについてもベタな意見のようですが、

個人的にはバスに乗って別の人生を歩んだと思いたいですけどね…(笑)




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受信: 2007年3月 6日 (火) 12時58分

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